Apr 13, 2010
会社設立と会社の維持
会社を設立したことがないので、実際にはわかりませんが、会社設立は意外と簡単にできると聞いています。設立は、書類を処理するだけでよく、誰もができることを知っていますが、会社設立よりも会社の維持が難しいと聞いています。当然、会社を存続させるためには利益を出す必要が決まった法人税の支払い、ましてや従業員の給料の支払いもあります。何でも維持も継続し大変なことです。事業資金に悩んでいるようであれば、銀行や地方自治体の相談みるといい。今だと、非常に親切に相談に応じてくれるのだ。なぜなら、今事業資金融資は、押されているからだ。銀行側も必死である。しかし、優良企業に事業資金を借りて、財務内容の悪い会社は、保証協会が指定する必要が借りするという姿勢は問題だと思う。
◆アジア杯1次リーグ ▽B組 日本─ヨルダン(9日・カタール、ドーハ・カタールスポーツクラブ競技場) MF本田圭佑(24)が8日、アジア杯で「ドーハのリベンジ」を果たすことを誓った。日本代表は9日、アジア杯1次リーグでヨルダンと対戦、ザック・ジャパン初の公式戦をスタートさせる。エース・本田はカタールで、05年1月のカタール国際、06年アジア大会、北京五輪アジア最終予選カタール戦(07年)と3度訪れ試合をしているが、結果を残せないでいる。本田自身にとっても、ドーハは悲劇の舞台。今大会優勝で、個人的「ドーハの悲劇」を払しょくする考えだ。日本代表は8日午後、試合会場となる競技場で公式練習を行った。
因縁の地・ドーハでMF本田は厳しい表情を崩さなかった。試合前日、1人で黙々とウオーミングアップをこなした。
「ドーハの悲劇」は、93年米国W杯アジア最終予選、イラク戦の後半ロスタイムで同点に追いつかれて本戦出場を逃したことを指すが、「何も関係ない。オレはその後に試合しているし、自分の思い出しかない。そっちの方が…」と明かす。最後に言いかけてやめた思いがあるからこそ、厳しい表情を保っていた。
ドーハは本田にとっても3度、悲劇を味わった地だった。U―20日本代表として出場した05年カタール国際。ノルウェー戦で2得点を挙げたが、チームは決勝で韓国に敗れ準優勝に終わった。U―21日本代表として出場した06年ドーハアジア大会でも2次リーグ敗退。近年まれに見る悪い結果だった。そして、07年北京五輪予選のカタール戦でも敗れた。
そのカタール戦前には「カタールに勝てなかったら(北京)五輪に出ても、チンチンにやられるだけ」と意気込んだが、試合は1―2で敗れ、現実に08年北京五輪でも1次リーグで敗退した。言った通りになった。そして、今回のアジア杯前にも「ヨルダン、シリアにここでやられるようでは準決勝、決勝でやれない」と同じような言葉を発した。同じ歴史を繰り返さないために。
これまでプロ生活で獲得したタイトルは、VVVでオランダ2部リーグでの優勝だけ。各国1部や代表でのタイトルは一度も手にしていない。「相手がどこであろうと、優勝するだけ。チームとしての目標と個人としての目標も一緒。優勝するだけ」と「優勝」という言葉を何度も繰り返し、初めてと言えるタイトルへの執念をのぞかせた。
ヨルダン戦ではトップ下での先発が予定されている。所属するCSKAモスクワから欧州トップリーグへの移籍を目指しているが、「あー、そんなこともありましたね。忘れてました。ここで活躍すれば、移籍にも良い影響になるかもしれないし」とアジア杯に集中する考え。4度目のドーハ来訪となる本田が、自らの足で悲劇を喜劇の舞台に変える。
◆因縁の“舞台”来年取り壊し ○…「ドーハの悲劇」の舞台となったアル・アハリスタジアムが来年で取り壊される予定であることが8日、分かった。日本サッカー協会の小倉会長に、カタール副首相が関係者を通じて伝えたもので、都市計画でスタジアムの上に高速道路を建設する予定だという。現在、アジア大会に出場している日本代表が、練習場の拠点として使用している。
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2010年は躍進の年となった。競泳の日本学生選手権(9月・東京)男子二百メートル平泳ぎで、昨年の世界ランク2位の2分8秒94をマークした中京大3年の冨田尚弥(21)。短水路の二百メートルでは10月に出した日本新記録を12月の世界短水路選手権(ドバイ)で塗り替えた。今年はアテネ、北京五輪2冠の北島康介(日本コカ・コーラ)に挑戦する1年になる。
急成長を遂げるきっかけとなったのは、昨年8月のパンパシフィック選手権前に行われたフラッグスタッフ(米アリゾナ州)合宿だった。北島や、北島を指導した平井伯昌ヘッドコーチに直接、アドバイスを受けた。それまでは上半身の重心が高く、水の抵抗が大きかったが、呼吸の際になるべく頭を高く上げないようにするなどの「改造」を実施。呼吸がつらくなり、水を飲むことも多かったというが、これがピタリとはまり、秋以降の躍進につながった。
精神的にも成長した。9〜10月の中国・昆明合宿では体操とストレッチの模範役を自ら買って出た。平井コーチが「人間的な成長がうれしい。(北島は)自分の教え子だが『打倒・康介』で頑張ってほしい」と期待するほどになった。
64年東京五輪男子二百メートル平泳ぎ6位入賞の鶴峯治氏から現監督の高橋繁浩氏、林享氏らへと連綿と受け継がれる中京大の平泳ぎ。その後継候補の誕生に、高橋監督は「(冨田が)出てきてくれたのはありがたい」と期待する。「部内ではもちろん、恩師や世話になった人たちに感謝の気持ちを言葉や態度で表せる選手。だから、自然と面倒を見たくなる。本人の努力もあるが、(他人からの激励を)肥やしにしている」と分析する。
アジア大会(11月、中国・広州)では、唯一出場した二百メートル平泳ぎで金メダルを獲得したものの、タイムは2分10秒36と平凡。納得できる内容ではなく、「練習はすごくよかったのに」と、大舞台での戦い方の難しさを思い知らされた。だが、それも経験。「外国人選手を倒して、世界新を出したい」と大きな目標を打ち上げる新星は、母校の系譜を受け継ぎ、ロンドン五輪を目指す。【芳賀竜也】
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